読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

つまるところこれは日記

――――――――あ

流れ留まりまた流れ

自分は別に田舎というわけではないけれど、まあまあ田舎な地域に住んでいる。

昔は近くの林で昆虫採集したり、川でひたすら水切りしたり、田んぼでカエルを乱獲したりと、理想の少年時代じみた遊びをしていた。大自然!とばかりに広大に広がっているわけではないが、充実した環境ではあっただろう。

先ほどなんとなくそのあたりに散歩しにいくと、ひどくこざっぱりしていた。

なんというか、木が減った。昔はもっと多かったのに。

川周辺にもいってみたが、こちらも昔のオンボロ感がなくなり、不自然なレベルで整地されていた。昔は背丈より長い草木が繁茂してたのに。

昔を語れるほど長く生きていないし、以前の風景をそこまではっきり記憶してる訳でもない。でも変わった。それだけは言える。環境が移り変わっていく姿が眼前に広がり、ちょっと前まではなかった新しい道を風が通り抜けていくのを感じた。

時の流れが残酷すぎることは常常感じていると思われたが、どうやら実感していなかったらしい。心の中では生い茂っていた木々が、今日の出来事で明確な思い出に昇華され、無理やり区切りをつけさせられたような気がする。格好つけて言っているがこれは久方ぶりに遊び場に行ってみたら景色が変わっていて、急に時間が動き出したと錯覚して驚いただけであり、普段目にする場所も道も、そして世界も毎日姿を変えている。当たり前だ。いつも利用している駅はいつだったか突然姿を変えたし、よく行ってた店は規模が小さくなったり無くなったり、最近整備された道路のコンクリートは昨日見たときにはもうヒビが入っていたし、見渡せば昨日と違った世界、いや違いすぎる世界が広がり、これは世界五分前仮説を否定できないわなーと思った悟った実感したといったところだ。

ただ、やはりこうも違われてはとても悲しい。現代を生きる人の枠組みの中では絶対に若い部類に入る程度には若いのに、ちょっと見た目が変わっただけで随分感傷的になってしまうとは、自分も年をとったものだ。これから先の人生ではこんなことをいっぱい経験するんでしょ?何その怖い世界一刻もはやく死にたひ。

世界には美しくあって欲しいけれど、いつまでもそのままの姿で輝き続けてくれるものなんてこの世では夜空のお星様くらいではないか?

お星様の話になりそうだしこのへんで止めておこう。